「あーん、もう会いたかったわ」
と、今にも言い出しそうな感じでその女性はうちの
玄関に突然立っていた。満面の笑顔でそこに立っている。そして「はやく入っていいよって言ってよ」と言わんがばかりにくつを脱ぎたそうにしている。
2年前のちょうど今ごろ
私は
ヨーロッパ出張を終えて、ちょうど成田空港から戻ってきて荷解きをしていた。当時住んでいた家は玄関と
リビングの間にちょうど
ガラスの扉があって、その扉で台所とリビングが分かれている感じだった。で、私は荷解きを一段落して、台所へ飲み物を取りに行こうと、そのガラスの扉の横を通り抜けようとしたときに
「ん?なにか変だな」
と思って、もう一度ガラスの扉のところに戻って玄関の方を見ると、女性が一人満面の笑顔で立っていたのだった。その笑顔は仲の良い特別な人に向けられる類のもので、私は頭の中が「?」マークで一杯ながらもその笑顔につれられて、そのガラスの扉を開いて笑顔を返した。
と同時に私の頭の中が高速回転を始める。
「この子誰?」
「どうやってオートロックを通ってきたの?」
「誰にも鍵を渡していないよな?」
「しかもノックもインターホンも押さずにうちの玄関の扉を空けて入ってきている。しかもこの満面の笑顔。俺はこの人知っているの?しかも、めちゃくちゃ仲良しの感じ?」
「いやいや、この子知らないよ」
「でも、帰国後当日、しかも帰ってきてすぐの時間にくるなんて、成田の到着時刻を知っていたかのようだよな。」
「俺って出国前に、誰かと約束したんだっけ?」
「そもそも、成田に帰ってくる時間なんて誰かに教えたっけ?」
「誰だ?誰だ?」
「うおー、でも明らかに向こうは俺のこと知っているって感じだよ」
当時住んでいた家は4階建てだったのだけど、3階と4階に一人ずつ住んでいるだけで、オートロックを解除できるのは3階の住人と私の二人だけ。あとは合鍵を持っている人がいればその人。でも、当時は彼女もおらず私は誰にも合鍵は渡していなかった。
10秒間ほど二人で笑顔のまま見つめあう。すると突然彼女の顔が素に戻っていって
「あ、お呼びでない?」
もう、まさに
植木等がいったのかと思うほど明確に彼女はそのセリフを言った。私も
「はあ、お呼びでないと思うのです」
で、その瞬間私は全てを把握した。彼女は出張の風俗サービスをしている子、俗に言う
デリバリーヘルスの人だったのだ。
そういえばさっき窓の外で車が止まってドアが開閉する音がしていた。行き止まりのどんつきに住んでいたので、車が入ってくることはめったにない。ので、どの家に車が帰ってきたのか、または、どの家のためにタクシーが迎えに来たかはいつも大体分かっていた。
そして最近は夜中の怪しい時間に3階の住人様宛てにこういう送迎車で誰かが送られてきている感じも確かにあった。
彼女が玄関から消えて私はグターっと疲れてしまった。と同時に非常に恐くなった。まったくの見知らぬ人が自分の玄関まで難なく入ってきていたのだ。しかもそのまま「じゃ、あがるね〜」とか言われて靴を脱がれて入ってこられていてもおかしくない状況だった。わたしはそれぐらい
パニックだったし、とにかく笑顔につられて頭ではクールに「この人は知らない」と分かっていても、「この笑顔は絶対に知っている人に向けられるものだ。俺が忘れているだけで、この人は知り合いに違いない」と思っているところがどこかにあって、頭がグルグル回っていた。
2年前のちょうど今ごろの珍事、ふと思い出した。
秋の夜長、戸締りにはご注意を
posted by ちょう at 01:15| 東京

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