学校は六甲山の中腹にあり、毎日山登りをするような感じで急な坂道を学校まで通っていました。制服は金ボタンではなく、東京の学習院のような紺色の制服。神奈川の栄光学園の姉妹校だったと言えば関東の人には分かりやすいでしょうか。とにかく校則の厳しい学校でした。制帽までありました。靴、カバンも学校指定のものしかだめでした。
学校の水道からは天然の湧き水が出てきました。六甲のおいしい水です。たまに家族のために家に持って帰りました。
周りの女子中学からは「イモ六甲」と呼ばれていました。まあ、丸刈りの中学生、制帽、制カバンまである学校ですから仕方ないですね。
六甲には変わった校則がいくつかありました。まずは中間体操。これは2限目と3限目の間の20分間の休み時間に全校生徒がグラウンドに出て、グラウンドを走るというものです。心身鍛錬のため、なのですが、上半身は裸。冬のどんな寒い日も必ず上半身は裸です。あ、ちなみに六甲は男子校です。
そして、瞑目。これは各授業が始まる前に1分間ほど全生徒が目をつぶって心を静かにすることです。こうすることにより、集中して授業を受けることができると。
あとは、教室まで走る。毎朝朝礼があったのですが、教室に入る際はみんな走って入る、という決まりがありました。そして校内では制服で過ごすのではなく、体操着みたいな「校内着」と呼ばれるものがあり、登校すると全員これに着替えました。
そして便所掃除。便番(ベンバン)と略されるこの行動が最も六甲を象徴していました。中学、高校共に全校の掃除は生徒が行っていたのですが、便所も生徒が掃除していました。その時のいでたちが有名でした。便番の担当になると、短パン、裸足、上半身裸になります。そして便所を掃除するのです。掃除するときに使うのはタワシ。柄のついたものではなく、ふつ〜のタワシ。それをわしづかみにして便器をゴシゴシ洗う。これが六甲スタイルの便所掃除でした。すべては精神鍛錬。冬の寒い日も短パン一枚。裸足に上半身裸。
あとはサイレン。チャイムの代わりがサイレンでした。戦時中のように授業の開始、終了時には「ウ〜〜〜ン」とサイレンが鳴りました。このサイレンは私が高校の時にチャイムに変わりましたが…
他には、電車通学の生徒が多かったのですが、電車内では絶対に座ってはいけないという校則もありました。「電車には自分たちよりも年配の人たち、疲れている人たちが必ず乗っているので、お前たちには座る資格はない」と校長が言っていました。
そして、赤い羽根共同募金。毎年生徒が街頭に出て「赤い羽根共同募金にご協力をお願いしまーす」とやっていました。もちろん私もやっていました。今でも赤い羽根共同募金を街角で目にすると、無意識に募金しています。
献血。毎年献血カーが学校にやってきて献血していました。
インド募金。インドの恵まれない人たちに募金をしよう、ということで毎月社会奉仕委員会のメンバーがクラスのみんなからお小遣いの一部を募金として集金していました。結構みんなきちんと募金していたようです。
夏の社会奉仕活動。身体障害者の方々の施設で数日間奉仕をさせてもらう活動です。施設の方々の遊び相手になったり、一緒に畑を耕したり、草引きをやったり、などなど。。。
挙げればキリがないのですが、強歩大会というものもありました。これは約40キロを走るという、まあ、ホノルルマラソンみたいなものです。私はなにげに長距離が得意だったので、中学3年からは毎年上位10位には入っていましたが、まあ、こんなに長い距離を走る学校ってないですよね…
ということで、変わった学校での丸刈り中学時代。ただ、生徒会ががんばったおかげで私が中学3年の途中には丸刈りの校則が廃止になりました。ここからが色気づいてきた時期でした。
六甲とは不思議な学校でした。ただ、この中学、高校で一緒だった友達が今の自分の一番の友達であり、今後もず〜っと大切な友達であり続けることは間違いないです。校訓を覚えているほど濃い学生生活でしたので。
「すべてのものは過ぎ去り、そして消えていく。その過ぎ去り、消え行くものの奥にある永遠なるもののことを静かに考えよう」
という初代校長の言葉を六甲の学生は脈々と教え込まれるのです。







