2004年11月30日

丸坊主の中学時代

中学時代の大半は丸坊主で過ごしました。これは丸刈りが校則だったせいです。六甲中学、高校というところはとにかく教育が厳しく、ストイックでした。カトリックでもあったのですが。「六甲精神」というものがあり、「奉仕の精神」をトコトンたたきこまれる学校でした。

学校は六甲山の中腹にあり、毎日山登りをするような感じで急な坂道を学校まで通っていました。制服は金ボタンではなく、東京の学習院のような紺色の制服。神奈川の栄光学園の姉妹校だったと言えば関東の人には分かりやすいでしょうか。とにかく校則の厳しい学校でした。制帽までありました。靴、カバンも学校指定のものしかだめでした。

学校の水道からは天然の湧き水が出てきました。六甲のおいしい水です。たまに家族のために家に持って帰りました。

周りの女子中学からは「イモ六甲」と呼ばれていました。まあ、丸刈りの中学生、制帽、制カバンまである学校ですから仕方ないですね。

六甲には変わった校則がいくつかありました。まずは中間体操。これは2限目と3限目の間の20分間の休み時間に全校生徒がグラウンドに出て、グラウンドを走るというものです。心身鍛錬のため、なのですが、上半身は裸。冬のどんな寒い日も必ず上半身は裸です。あ、ちなみに六甲は男子校です。

そして、瞑目。これは各授業が始まる前に1分間ほど全生徒が目をつぶって心を静かにすることです。こうすることにより、集中して授業を受けることができると。

あとは、教室まで走る。毎朝朝礼があったのですが、教室に入る際はみんな走って入る、という決まりがありました。そして校内では制服で過ごすのではなく、体操着みたいな「校内着」と呼ばれるものがあり、登校すると全員これに着替えました。

そして便所掃除。便番(ベンバン)と略されるこの行動が最も六甲を象徴していました。中学、高校共に全校の掃除は生徒が行っていたのですが、便所も生徒が掃除していました。その時のいでたちが有名でした。便番の担当になると、短パン、裸足、上半身裸になります。そして便所を掃除するのです。掃除するときに使うのはタワシ。柄のついたものではなく、ふつ〜のタワシ。それをわしづかみにして便器をゴシゴシ洗う。これが六甲スタイルの便所掃除でした。すべては精神鍛錬。冬の寒い日も短パン一枚。裸足に上半身裸。

あとはサイレン。チャイムの代わりがサイレンでした。戦時中のように授業の開始、終了時には「ウ〜〜〜ン」とサイレンが鳴りました。このサイレンは私が高校の時にチャイムに変わりましたが…

他には、電車通学の生徒が多かったのですが、電車内では絶対に座ってはいけないという校則もありました。「電車には自分たちよりも年配の人たち、疲れている人たちが必ず乗っているので、お前たちには座る資格はない」と校長が言っていました。

そして、赤い羽根共同募金。毎年生徒が街頭に出て「赤い羽根共同募金にご協力をお願いしまーす」とやっていました。もちろん私もやっていました。今でも赤い羽根共同募金を街角で目にすると、無意識に募金しています。

献血。毎年献血カーが学校にやってきて献血していました。

インド募金。インドの恵まれない人たちに募金をしよう、ということで毎月社会奉仕委員会のメンバーがクラスのみんなからお小遣いの一部を募金として集金していました。結構みんなきちんと募金していたようです。

夏の社会奉仕活動。身体障害者の方々の施設で数日間奉仕をさせてもらう活動です。施設の方々の遊び相手になったり、一緒に畑を耕したり、草引きをやったり、などなど。。。

挙げればキリがないのですが、強歩大会というものもありました。これは約40キロを走るという、まあ、ホノルルマラソンみたいなものです。私はなにげに長距離が得意だったので、中学3年からは毎年上位10位には入っていましたが、まあ、こんなに長い距離を走る学校ってないですよね…

ということで、変わった学校での丸刈り中学時代。ただ、生徒会ががんばったおかげで私が中学3年の途中には丸刈りの校則が廃止になりました。ここからが色気づいてきた時期でした。

六甲とは不思議な学校でした。ただ、この中学、高校で一緒だった友達が今の自分の一番の友達であり、今後もず〜っと大切な友達であり続けることは間違いないです。校訓を覚えているほど濃い学生生活でしたので。

「すべてのものは過ぎ去り、そして消えていく。その過ぎ去り、消え行くものの奥にある永遠なるもののことを静かに考えよう」

という初代校長の言葉を六甲の学生は脈々と教え込まれるのです。
posted by ちょう at 02:47| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(1) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チャッカマンな時代

小学校5年生、6年生はおそらく現在の自分を形成し始めた初期だと思います。

バスケットボールが流行っていて、2年生のときに偶然バスケを習っていた私はクラスの中では1〜2番手にうまかった。足も遅くはなくクラスで上位20%ぐらいには入っていました。そしてバスケと同じくらいに人気のあった野球も結構うまかったと思います。

しかし、私のスポーツレベルはこの後下降の一途をたどり、今では胸を張って「私は運動神経がありません」と言い切るぐらいになりますが… 

ということで、ガキ大将からも開放され、それなりに楽しくスタートした小学校5年生。5年生の林間学校では当時お気に入りの女の子と同じ班になり、ご機嫌。

当時何件か放火事件が発生し、「ホウダ」という名前から「ホウカ(放火)」を連想されて、小学校5年生になってすぐにあだ名が「放火魔」になってしまいました。そしてその頃に一世を風靡した家庭用品がチャッカマン。ライターでしか火をつけることができなかったのが、あの長い枝のついた火付けマシンが大流行。「チャッカマ〜ン♪」というCMソングが流行りました。みなさん、覚えていますか?

ということで、「放火魔」から「チャッカマン」にあだ名が変わりました。小学校5年生、6年生の間はみんなから「チャッカマン」と呼ばれていました。ホウダ、と呼ぶ人は男女共にクラスメートで誰もいませんでした…

この当時、レベッカが流行っていたのですが、クラスにはレベッカのボーカルの従兄弟がいました。彼は大人気。一方で私は芸能オンチ(今もですが…)で、なんとか一生懸命芸能界のことを知ろうと「ザ・ベストテン」などを一生懸命見ていました。

6年生になると生徒会の選挙があり、私はクラスから投票で選ばれて生徒会長の選挙に立候補することになりました。5クラスあったので、5分の1の確立ですが、クラスのみんなが登校時に全校生徒に一生懸命PRしてくれた甲斐があって、無事に生徒会長になりました。校門前で登校する生徒に「よろしくお願いします〜」と挨拶をしている横を、小学校4年生のときのガキ大将が居心地悪そうにそそくさと歩いていったのを記憶しています。

後日談ですが、生徒会長としてたまに朝礼台に上がってしゃべる私を覚えていた人がいました。当時小学校4年生だった女の子で以前、ブログに書いた青春の日々の主人公の彼女です。

ラブレターをくれて少ししてから彼女は「保田さんが生徒会長をしていたの、覚えていますよ」と言っていました。

6年生のうち最もバスケットボールのうまい組が市のバスケットボール大会に出場できたのですが、私のいた4組は校内で1組と決勝戦を行いました。1組の担任の先生がバスケットボール部の担当だったので、相当強敵、と思われていました。試合は授業時間中に行われたので、女子は教室で自習。男子だけで体育館で試合をしました。結果は20対0の圧勝でした。でも「教室で待っている女子には試合に負けたことにしよう」、とみんなで言い合わせて教室に戻り「負けちゃったよ」と男子一同がっかりした様子を見せました。

するとそこかしこから女子が泣き出します。

「みんなあんなにがんばって練習したのに…」と女子は言い、そして泣きます。まさか泣くとは思っていなかった男子一同、女子をとりなすのに一苦労したのを覚えています。結局、市の大会では初戦で強敵にあたり敢え無く負けてしまいましたが…

小学校4年生の頃から塾に通っていたのですが、5年生までは泣かず飛ばずの成績だったのが6年生になるとグングン成績が良くなっていきました。関西では有名な「浜学園」という塾に通っていたのですが、この塾はクラス分けがSクラス、Hクラス、Aクラス、Bクラスに分かれていて、その中でも1組〜5組ぐらいまでに分かれていました。私はAクラスをずっとウヨウヨしていたのですが、6年生になるときにHクラスにあがりました。6年生の時は今までで一番勉強が楽しかったです。

神戸では御三家と呼ばれる私立中学(灘、甲陽、六甲)があったのですが、その中の六甲を受験することになりました。後にも先にも私の人生で受験をしたのはこの1回だけです。六甲を受けた理由は偏差値的に合致していたこともありますが、ストイックな教育方針で、この教育方針を両親が気に入っていたことも大きな理由でした。

その六甲中学、高校の教育方針、それは「よき父を育てる」でした。

六甲を受験したとき、手ごたえははっきり言ってよく分かりませんでしたが、受かっていました。合格発表の記憶がないので、おそらく母親が発表を見に行ったのでしょう。
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2004年11月28日

人生振り返りシリーズ

そろそろ年末だし、30歳になったし、すこし今までの人生を振り返るシリーズでもはじめてみようかな〜と思います。やっさんのブログに触発されて… ということで、まずは幼少時代です。

■小心者&恥ずかしがり屋の5歳までの期間

幼少時代はとにかく小心者&恥ずかしがり屋。写真などを見ても分かるのですが、少し斜めを向いて写っている写真が多く… 髪型はおかっぱ。「どうしてこんな女の子みたいな髪型なんだろう」って思っていたものの、親が切ってくれるおかっぱカットで幼少時代をすごしました。

小心者で人見知りだったので、自分から誰かに声をかけたりすることはまずなかったです。子供が多いマンションに住んでいたので、幼稚園は5歳まで行かず、小学校に上がる前の1年間行っただけで、5歳までは知っている世界はマンションの友達だけ。

マンションの隣の家に住んでいたケイコちゃんのことが好きで、よく2人で遊んでいました。ケイコちゃんがピンクレディの振り付けつきで歌うのが好きでした。でもそのケイコちゃんは小学校にあがる頃に引っ越してしまいました。

■小学校1年〜2年

この時代の記憶はなぜか薄いです。小学校2年生のときにこんな会話があったのは覚えています。

私:「今日学校で頭がいい、って先生に褒められたんだよ」
父:「そんなことぐらいで浮かれるな。そんなの大したことはないんだよ」

当時から調子に乗る癖のあった私の教育方針は父は理解していたのでしょう… あとは、母子家庭の友達の遊び相手になってあげて、と担任の先生に言われて、先生が顧問をしていた卓球部の卓球で一緒に遊んでいた記憶があります。

そういえば小学校1年生のときにアレルギー結膜炎がひどくて、これを「はやり目」という目の伝染病だと誤診されて2ヶ月ぐらい学校に行かなかったです。

あとは小学校2年の時に学校で先生の怒られて泣いたことがあって、「泣くな、情けない!」と親に怒られた記憶があります。

この時期に好きだった女の子の記憶はないです。

■楽しかった小学校3年、暗黒の4年

小学校3年生になると友達も増えて楽しい毎日。が、4年生になると暗黒時代に。ガキ大将がクラスを牛耳ることになり、私を含めた大半の男子生徒は子分になってしまいます。

どうやら小学校3年生のときの仲良し雰囲気についていけなかった彼は、その和気アイアイの雰囲気をぶちこわすために自分をガキ大将に仕立て上げてしまいました。その後はクラスの半分ぐらいの男子を子分にしてしまいます。私も子分になってしまいました。

好きでもないプロレスごっこにつき合わされたり、特に用事はないのに早朝に呼び出されたり、彼の家でたむろさせられたり、エッチ漫画を一緒に読むように強制されたり、授業をサボるように強制されたり、などなど。

ということで、暗黒の小学校4年生でした。精神的に少し参っていた私はおなかの調子が悪い日が続き、病院の先生が「精神的なものによるものですね」と言っていたのを覚えています。
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2004年11月26日

スピード、モメンタム、タイミング

結局恋愛と同じなのだと思いますが、企業の経営判断においてもスピード、モメンタム、タイミングが重要なのかな、と思います。

これらを的確に捉えて行動する、これが経営者に求められるものだと思います。どうしても慎重になりすぎたり、臆病になってしまったり、「もっと他にいい案件があるかも」なんて思っていたりして、やりすごすと、スピード、モメンタム、タイミングを取り逃がして、結局形にならない。うん、恋愛と同じですね。
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2004年11月25日

出戻り

投資銀行の世界では、出戻りをする人は少なくない。それは1度辞めた会社に戻ることだったり、投資銀行業界を出た人がまた業界に戻ることだったり。

昨夜の夜中すぎからUBSの元同僚の人たちと飲んだ。久しぶりにお顔を拝見する人たちもいて、非常に懐かしく、うれしい時間だった。大体こういう席で聞かれる質問としては「新しい仕事どう?」であったり、「業界の戻ってこないの?」だったり。

後者の出戻りに関しての質問は実はうれしい。一方で、この質問がなくなること=必要とされていないこととなるので、少しでも長くこの質問をしてもらえるようにしたいな、と思う。

といってもその類の質問がどれくらいの期間続くかは、自分が前職において残したパフォーマンス、言動に基づくところが多いので、今更どうこうできる話ではないのですが (笑)

またいつもと同じように「最低あと半年は動きません〜」と答えましたが、やはり優秀な人たちと働ける環境というのは外に出てみるとその価値を改めて認識しますね。
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ラウンジトモモト

昨夜のラウンジで年内のラウンジは終了しました。開始から継続的にやってこれたのはみなさまのおかげです。ありがとうございます。時間が経つのは早いですね〜
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2004年11月24日

マツケンサンバII

これ、最高ですね。

土曜日の誕生日パーティのときに、マツケンサンバIIのCDとDVDをもらったのですが、いや〜、マツケン、最高。

もう単純に純粋にマツケンがうらやましいのです。

前奏中はステージで何十人もの人が踊っていて、いざ歌が始まる頃にステージの中央にマツケンが満を持して登場。そして軽やかなステップを踏みながらマツケンサンバを唄うわけです。もちろんその何十人もの人と一緒に。

マツケン、いいなあ、いいなあ。

DVD見て踊りをまずはマスターしようかな。
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2004年11月22日

一夜明けて

昨日の誕生日会から一夜明けて、ますますあの時間、空間のありがたさ、うれしさがこみ上げてきます。そして、もっともっといろんな人とお話したかったなあ、楽しめなあ、もったいなかったなあ、とも思ってしまい。欲張りですが…

事前告知ウェブサイトまで作っておいて、調子に乗りぶりを十分に発揮していたのですが、いざ、当日になるとやはり自分たちの誕生日パーティというのは非常に恥ずかしくて、ケーキのロウソクを消すときも、花束を頂いたときも、「みなさん、ごめんなさいね。こんなの見ていてもつまらないよね?」なんて思ってしまうところもあって、でも、ロウソク消した後はバンザイしたかったなあとか、頂いた花束も堂々と掲げて最高の笑顔を振りまきたかったなあ、なんて思ったりして。

正直、ケーキも、花束もめちゃくちゃうれしくて。でも、照れてしまって、「俺たち、やりすぎかなあ」なんて思ってしまっている自分もいて… でも、よく考えると事前告知ウェブなんてあった時点からやっちゃってしまっていたわけで、その路線をガンガン進めばよかったのだろうけど、どうしても参加者のみんなにもいろいろ交流してもらって楽しんでもらいたい、という思いが強かったのかもしれません。

あるいは、参加者のみんなが、自分たちのお祝いに来てくれているという自信が若干なかったのかもしれません。みんなは参加者同士の交流を求めているのであって、お祝いはおまけみたいなもので、なんていう思いも少しあったのかもしれません。

でも、昨日、会場で、いろんな人に「おめでとう」、と言ってもらい、そして「楽しい時間を過ごせましたよ」、と言ってもらい、ホントによかったなあ、って思いました。一方で、ついつい参加者のみんなが楽しんでいるかどうかが気になって、常に会場を見回したくなる欲望に駆られて、なかなかみんなとゆっくり会話を楽しめず、気がつくと、みんなと話していた時間よりも1人で会場を眺めていた時間のほうが多かったかもしれません。うーん、もったいない!!

でも、久しぶりに会う人も多く、お顔を見れただけでも幸せでした。ホントに。

なんか、こう、思い返せば思い返すほどにじわじわと喜びがこみ上げてきます。
posted by ちょう at 01:00| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月21日

最高の時間、空間

ついさっき、やっさんとの共同誕生日パーティを終えて帰ってきました。

はっきり言って泣きそうでした。スタッフのまみん、藤井ちゃん、幸代、ともちゃん、ありがとうございました。そして、当日いろいろと支えてくださった参加者の皆さん、本当にありがとう。

結局120人弱の人が来てくれたみたいで、当初予定の倍になってしまいました。うれしかったです。単純に。でも、そのため、会場が若干狭く、皆様にはご迷惑をおかけしました。また、「素敵な男女の最高の空間を提供しますよ!」と言っておきながら、結局やっさんとわたしが最高の時間、空間を提供してもらい、ただただ恐縮するばかり。

内容もアメリカで活躍するSDからのビデオレターなどいろんなサプライズ企画、サプライズプレゼントありで、ホント、ありがとうございました。

本当に楽しかったなあ。うれしかったなあ。こんなにうれしかったの、いつ以来だろう。久しぶりに会えた友達とかも結構いたりして。よかったなあ。

もう少しだけ「男女の出会い」を創出したかったのですが、会場が若干狭くて動きずらくあまりいろんな人と出会えなかったかな?少しでもみなさんにとっても果実、があったのであればうれしい限りです。

ホント、ありがとうございました!!

http://staycool.tv
posted by ちょう at 04:59| 東京 ??| Comment(2) | TrackBack(1) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月20日

タイミング

特に予定のない金曜日の夜。ラーメン食べて、「さあ、帰ろう」としていたら友達から「ちょっと相談したいことがあるんだけど、お茶でもどう?」って連絡。

友達が相談事があるときに、相談してもらえるのはうれしいし、相談したいタイミングで相談を受けられるのはもっとうれしい。おそらく明日になれば相談したい欲も若干減っていただろうし、他の人に相談してある程度解決してしまっていたかもしれない。

たまには予定のない金曜日夜もいいものだなあ、なんて思ったり。
posted by ちょう at 03:22| 東京 ??| Comment(1) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月18日

予期せぬプレゼント

「で、どう?30歳になった感想は?」
「うーん、いや、特に」
「あ、そう。でもあなたももう大人なわけだし、万年筆ぐらい持ったほうがいいんじゃないかと思ってね」

そういいながらその男の人はおもむろに万年筆をプレゼントしてくれた。

おいおい、かっこよすぎるぜ、思わず惚れてしまうよ、なんて思いながら、男の人から誕生日プレゼントをもらうなんてほとんど記憶にないのでびっくりー、でした。

男にさりげなくプレゼントを渡せる男、かっこいいなあ、って思いました。
posted by ちょう at 02:16| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベンチャービジネス勉強会

今日の午後、一橋大学のベンチャービジネス勉強会というものにスピーカーとして招待されて参加してきました。スピーカーは3名で、チームラボの猪子社長、シリウステクノロジーの宮澤社長、そして私。まあ、私は人数あわせですね、ハイ。だって、猪子さんも宮澤さんも結構な所帯をもつ会社だし、稼いでいるしね。起業してから何年も経っているし。まあ、というわけで、とにかく参加してきました。

学生さんは一橋大学の学生さんを中心に、関東圏の様々な大学の学生さん約30名ほど。学年も1年生から大学院生まで様々。別に全員がベンチャー企業に就職することや起業が第1志望ではなく、なんとなくビジネス、ベンチャーに興味がある、というような感じだったかと思いますが、みなさん、すごいですね。やる気と情熱に感心感心。

ところで、一橋大学、初めて行きましたが素敵なキャンパスですね。ホント、いいキャンパスです。ほどよく紅葉もしていましたし。なんだかデートをしたくなるキャンパスでした。

さて、内容はと。基本的にはスピーカーの簡単なプロファイルややっている事業内容は事前に学生さんに説明されていて、最初から質疑応答の時間。質問がどんどんやってきて、ドンドン答えると言うもの。

隣で答えるベンチャー社長2名の回答を聞きながら、「いや〜、すごいなあ〜」なんて自分も学生側の参加者気分でいると、「じゃ、次、保田社長」とか言われて、「あ、俺?そっか、俺も社長って言う肩書きか〜」なんて思いながら、「えーとですね・・・」とたどたどしく答える。

今日出てきた質問はこんな感じでした。(一生懸命話しながらメモったのですが半分ぐらいしか記録できていないかな…。答えは自分で答えた部分です)

Q:起業した理由
A:みなさんご存知の通りで・・・

Q:会社が伸びた理由
A:うちの会社はまだ伸びていませんので、回答できません、と答えました…

Q:世の中の社長は女性遊びもうまいと聞きますが・・・?
A:イヤ全くそんなことありません、と答えようかな、と思うと、主催の学生が「保田さんは合コン王子ですよね?」ってすかさず言うじゃないですか… やっぱりブログ恐るべし…

ということで開き直ってこう答えました。

A:「ええ、合コン、好きですよ。得意なんです。合コンほどのエンターテインメントは世の中に存在しないと思います。自分で主催すれば自分が一緒に飲みたい男の人を集めることができて、その時点で十分に楽しいのですが、目の前に4人の女性が座っているなんてますます楽しいじゃないですか?」

ということで、開始早々3つ目の質問で私はクールに装っていたのに「合コン王子」になってしまいました。この後いくらいいこと言っても説得力ないんだろうなあ、国立まで遠かったなあ、終了まであと2時間もあるよー、なんて思いながら次の質問へ…

Q:影響を受けた人、本
A:自分が大好きなので、基本はないのですが、チームラボ猪子さん、アップステアーズの金子氏、ディールウェーブの竹内氏、本はソニーの盛田さんの書いたJapan as No.1

Q:あなたにとってリスクとは何ですか?
A:先が見えている人生を送ること

Q:夢は何ですか?
A:日本を元気にするための社会的基盤を作るとか、個人の触発を行うなど。そのためにソーシャル・ネットワーキングをはじめましたが、稼ぐ手段を言うよりも、夢実現のための手段です

Q:学生時代はどうやってすごしましたか?
A:きわめて普通の学生でした。大企業に就職するのがいいと思っていたし、1年間の交換留学とゼミをやったぐらいですね

Q:サラリーマンとして企業で働いた経験が起業してから役に立っていますか?
A:直接的に事業に役に立っているかと言うと多分ないけど、ビジネスマンとしての最低限のものであったり、論理的思考プレゼンテーション能力などは役に立っているのではないでしょうか?

Q:やる気の少ない人を組織内で働かせるにはどのようにすればいいですかね?
A:組織として目標、夢を持つ。そして、上司が夢を実現するための働き振りを部下たちに示すこと(その他、ウダウダ言いましたが省略)

Q:周りに女性起業家はいますか?
A:少ないですね。あまりいません

Q:社会人として落ち込んだ、つまづいた経験、そしてどのようにして克服しましたか?
A:(回答忘れてしまいました。。。でも、新卒入社3ヵ月後の本当に行き詰っていたときに回転扉に頭をぶつけたことが2回ほどある、という話をしました。そして、転職したときも3ヶ月間はお腹の調子が悪かったことなど)

Q:学生から直接起業するのと、大企業に就職するのはどちらがいいですか?
A:個人の価値観なので。。。

Q:大企業で働いて良かった点は何ですか?
A:1、研修制度、2、優秀な人との出会い、3、会社のお金でチャレンジさせてもらえること

Q:大企業で働くことの嫌な点は何ですか?
A:1、根回しが面倒、2、politics(政治)があることかな。。

Q:起業してから一番変わったことは?
A:人と会う時間が増えた

Q:社長に必要な資質って何ですか?
A:カリスマ的、宗教的に組織をまとめる能力、または、天才的才能かな。。。

Q:あなたは日本人、世界人という視点ではどのような立場ですか?
A:120%日本人です。企業にも国籍があり、外資系証券会社で日本人が要職に就くのは、日本企業にてタイ人が要職に就くぐらい難しい。日本と言う国、日本人が幸せになれることが一番の目標かな

Q:海外で起業しようとは思わなかったのか?
A:日本が好きなので、ないです

Q:ウォール街で働いていたときと、日本で働いていたとき、それぞれで不便さを感じたことはないか?
A:驚くほどなかった

Q:英語は留学で話せるようになったのか?
A:そうです

Q:起業と家庭との両立は大変か?
A:みなさんうまくやっているようですよ(私は家庭持っていませんが…)

Q:経営者として注意している点は
A:(なんて答えたっけ。。。?)

他にはソーシャル・ネットワーキングについての質問が結構多かったです。結構認知されてきていますね。

総じて、楽しかったです。大したお話できず、稚拙な話ばかりで恐縮でしたが、主催者の方々、ありがとうございました。
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23日草野球したい人!

いますか〜?今季最終戦です。興味ある方はメールくださいね。
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2004年11月17日

無事に30歳を迎えました

16日、無事に30歳を迎えることができました。たっくさんの人から「おめでとう〜」、のメッセージをいただきました。本当に、本当にありがとうございます!!正直感激しています。

よくこんな人間の誕生日を覚えていてくださったなあ、というのが正直な感想です。これほどまでに自分勝手でどうしようもない人間ってあまりいないと思うんですよね。にも関わらずお付き合いいただいて、しかも誕生日を祝福してくれるって、なんてありがたいんだろうって思います。

私はダメな人なので、みなさんの誕生日に手際よく祝福メールを送れる自信があまりないので、ぜひこれを機にみなさんの誕生日を教えてくださいね。私が頂いたうれしさを皆さんにも実感していただきたいので、ささやかながら祝福させていただきたいと思います。

今年はいろんな人たちとの新しい出会いがありました。そして、それら一つ一つの出会いが私にとっての宝物です。みんなのサポート、そして遠くから「あいつ大丈夫かな〜」って見守ってくれる姿勢、ひしひしと感じる、そんな年でした。

そしてそんなみんなからおめでとうと言ってもらえる、幸せだなあ、って思います。もちろん今年は誕生日会なんてものを年甲斐もなくやる予定で、その告知の中で誕生日をお知らせしたので、そのせいもあって、今年ほどいろんな人からメッセージを頂いたことはありませんでした。どうしようもない人間ですが、今後ともぜひともよろしくお付き合いのほどお願いいたします。

「で、30歳の抱負は?」って結構聞かれました… えーっと、どうしましょうかね。。。とりあえず今週末のパーティまでには考えようと思うのですが、とりあえずは人として普通になる、まっとうになる、そしてできれば大人の男の魅力を兼ね備えたいと思います。どうやったら大人の魅力、身につくかな〜?

本当にありがとうございます。みなさまのおかげで日々、すこしずつですが、前進している感じがします。わたしがみなさんのために何かの力にできることがあればおっしゃってくださいね。

なんか、書きたいこと、たくさんあるんですが、考えがまとまらず、また明日以降に整理しますね。

では、今後ともよろしくお願いいたします。

保田隆明
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2004年11月15日

乾燥肌、敏感肌

寒くなってきました。毎年困るのが「乾燥肌対策」。乾燥すると肌がかゆくて困るのです。肌はがさがさするし。

みなさん、どんな対策されていますか?一応花王のCurelを使っていますが、他にいいものがあれば教えてください!
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取材記事

今日は結構たくさんの人から「今朝の日経新聞に載っていましたね〜」というメールがきました。取材記事は今までもあったのだけど、どうして今日は多いのかな、と思ったら日経新聞の朝刊に載ったのは実は初めてでした。

記者さんとはいろんなもの、分野に関する興味が似ていて、取材は楽しかったです。実は、記事内のソーシャルネット、ブログ、掲示板の違い、という表も半分ぐらいは私の方で作成をお手伝いさせていただきました。
posted by ちょう at 16:06| 東京 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | トモモト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月14日

秘密を持つのはいいこと

「秘密を持つのはいいこと」

今日聞いた台詞。

「そっか、そっか。そうだよな〜」と改めて思いました。

トモモトの人になって以来、そして、この自分を120%さらけ出すブログを書いて以来、自分の日常生活は完全に赤裸々なわけです。私は自分をとにかく知って欲しい、受け入れて欲しいと思う人間なので、こうやって赤裸々に日々の出来事、自分の考えていること、今までの生き方などをブログに書くのは好きなんです。ただ、秘密、それが例えば誰かと一緒に行ったお店の記憶とか、けんかした記憶とか、なんでもいいんだと思いますが、そんな秘密を持つこともありなんだろうなー、って思いました。

秘密にしたい、それはつまり大切にしたい、って思うことの同義語かな、と思うとますます、いいことなのかもしれないな、と思います。

でも、やっぱり赤裸々に日々のことをこうやってブログに書いていくんだろうな〜、って思うのでした。
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ブログの威力

「保田さんって合コン王子だったんですか?」

最近立て続けに言われるこの台詞。クライアントが数社、そして女性からも…

「あ、いや、あれは半分冗談でして…」

なんてはぐらかそうとするものの、「日々の出来事を実直なまでに書いています」というこのブログ。「半分冗談」なんて信用してもらえるわけなく… それでもクライアントには真面目にプレゼンテーション

いくらいい企画書、プレゼンテーションを作ってもやはり合コン王子にはお仕事発注してもらえないかも、いくらかっこつけていい男演出しても、やはり女の子には合コン王子は嫌われてしまうかも、なんて思いながらブログの威力を再認識。

でもホント、半分冗談ですから…
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竹の子ニョッキの人

私:「えーと、会うの初めてですよね」
友達:「ううん。保田さんは前に一度会っていますよ」

と言われて紹介された女の子。「はて、どこで、いつ会ったっけなあ?」なんて思っていると、その女の子が言った。

竹の子ニョッキの人ですよね!?」

そういいながらその子は両腕で頭の上に竹の子を作って、ジェスチャーで教えてくれる。確かに一時自分の周りでブームになった竹の子ニョッキだ。間違いない。でも、ちょっと待ってくれ。初対面と思わしき人に「竹の子ニョッキの人」呼ばわりされるなんてどういうことだ?

すると友達が続ける

「ほら、いつだったか、保田さんたちと銀座でみんなで飲んだじゃないですか〜?その時に竹の子ニョッキゲームをしたんですよー」

「銀座?竹の子ニョッキ?」

思い出しちゃいけないんだろうなー、と本能的に思いつつ、すぐに思い出した。「あ、あの飲み会だ!」

たしか当時は高校時代の友達と飲むと竹の子ニョッキゲームをして遊んでいた。なぜか結構盛り上がってしまって。それでその飲み会でもそのゲームをやってしまったのだろう。

で、その2度目ましての子と私の友達が続ける。

「いやー、あのゲームには参りましたよー。なんだかみなさん荒れ気味でしたよねー」

後悔先に立たず、とはまさにこういうことを言うんだなあ・・・
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2004年11月12日

生演奏ウィーク

昨日、シリウステクノロジー社長からのお誘いで宮澤むじかさんピアノコンサートにお邪魔して来ました。

社長のお姉さまで、以前社長の披露宴の際にもうっとりするような演奏を聞かせていただきましたが、今回は本格的な演奏ホールでのコンサートだったので、音響、雰囲気も最高でした。

「ここまでのキャリアを来られるまでの努力、才能は並じゃなかっただろうなあ」なんて思いながらピアノの旋律に耳を傾けていました。と同時に自分の今までのキャリア、今後のキャリアに関してなんとなく考えていました。

そして一昨日はラウンジトモモトでのブルース演奏。ニューヨークのハーレムで演奏をしていたMitsuさんをお招きして。また最高の演奏でした。ギターとボーカルだけであれほどまでに聴かせることができてしまうのは、毎度の事ながら感動。またCD買ってしまいました。

Mitsuさんは私と同じ年齢。先月CDを発売した彼もまた自分のキャリアを開拓している人。ギターを弾く彼を見ながらまた私のキャリアについても思いをめぐらせるのでした。

やはり一生懸命生きてる人は輝いています。私も常に輝いていたい、そう思います。
posted by ちょう at 15:55| 東京 ??| Comment(1) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする