2004年12月30日

ありがとうございました

2004年を振り返る時期になってきました。2004年、それは自分にとっては自分探しの旅をしていた1年だったのだなあ、と今頃になって思い始めました。

偉そうに起業だのなんだのと言っても、実は組織から離れること、規定路線を外れることによって、自分探しをしたかったのではないかと思います。年央くらいは会社、事業がなかなか形にならずいろいろ焦ったりしましたし、落ち込んでいる時期もありました。が、それらもすべては必要なプロセスだったのだなあ、と思います。

年末になって、どうして自分は組織を離れ、起業をし、ソーシャルネットワーキングを始めたのか分かってきました。それは、自己表現をする、ということと、自分探しをするため、だったのだな、と思います。年末になってやっと分かってきました。

「今後どうして行きたいのですか?」

起業してしばらくはこの質問にうまく答えられなかったのです。自分でもどうして行きたいのだろう、と自問したりして。それはそのはず。結局起業したこと、ソーシャルネットワーキングを始めたことが自己表現であり、自分探しなので、「今後どうして行きたい」、という考えはあまり何もなかったわけです。

今までにやりたいこと、実現したいことは全部実現してきました。夢が小さかっただけかな、と思いますが、そのやりたいことを全部実現してしまってからは今後どうしたいのか、ということがぼんやりしてきました。一方で、会社では責任ある仕事をドンドン任されるようになり、ポジション、給料はドンドン上がっていく。そして生活レベルも上がっていく。生活レベル、金銭感覚などは外資系証券会社にいるとやはり麻痺してきます。おそらくあと5年もあの業界にいれば、そのポジション、給与、生活水準を捨てることができなくなって身動きが取れなくなるな、という意識がドンドン強くなっていきました。

もちろんウォール街の仕事は刺激的ですし、ステータスもあります。でもそこから一度外に出る必要があるな、と強く思ったのでした。でも外に出ると言っても何をするの?というところで少し思考が止まってしまいました。それであれば、まずは自己表現をし、そして自分探しをするべきだ、ということで今年の行動に至ったのだと思います。今だから言えることで、当時はよく分かっておらず「とりあえず今はこうしたいんだ」と思ったことをやってきました。

結局起業してからの売上はほとんどなし。日銭を稼ぐ方法はいくらでもあったのだと思いますが、結局それはしたくなかったのです。日銭を稼ぐことに時間を費やすと、自分探しに集中できなくなってしまい、組織を離れた意味がなくなり、本末転倒になる、そういう思いが無意識のうちにあったのだと思います。

そして、今年はとにかくいろんな人に会いました。ほぼ毎晩誰かと食事をしたり、飲んだりしていました。それもいろんな人の人生を見ること、いろんな人と話すことが自分探しに重要だと思っていたからだと思います。

今、年末調整の準備をしていますが、前職での源泉徴収票などを見ていて、「いや〜、前職では結構給料もらっていたんだなあ」なんて思うのですが、今はあまり給料とかにも興味がないのです。つまり、稼ぐことは今の自分にとっての重要度が余り高くないのだな、とやっと気付いてきました。

人間は、特に男の場合は、いくらの給与があるか、というのがその人の価値みたいになっている側面もあり、どうしても給与に対してのこだわりなどがあるのですが、そのあたりのこだわりがまったくと言っていいほどなくなっているみたいです。

年末になって、すべてのことがすっきりしてきました。そして自分探しはどうやら気付かないうちに相当進行し、来年、そしてそれ以降に自分がするべきことが徐々に見えてきました。

来年はまた地に足をつけた生活をしていきたいと思います。今後の人生形成のために仕事をキチンとやりたいと思います。平日夜に食事に行ったり飲みに行ったりすることは激減させる予定ですが、みなさん来年もぜひとも仲良くしてください。

では、よいお年を!
posted by ちょう at 10:54| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の忘年会、そして仕事納め

昨夜は六甲のみんなでの忘年会でした。5時開始で朝5時まで。まあ、よくやるもんです。唄って、踊って、はしゃいで、飲んで。。。へとへとですが、やはりあの仲間と最後にはしゃがないことには年は越せないなあと、毎年ながらに思います。みんな元気ですね。

で、私はそのままオフィスに来ました。。あと1本ミーティングをやって仕事納めです。
posted by ちょう at 10:52| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月29日

仕事納め…?

28日で納めようと思っていたのに、納まらなかったので結局30日まで仕事をしそうな雰囲気… 全然稼いでもいないのに仕事ってどういうこと?って思うのですが、まあ、仕方ないですよね。

まだ仕事が納まっていない方々、一緒にがんばりましょ!
posted by ちょう at 03:15| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月28日

去年の年賀状

1年を振り返るに当たって、去年の自分で書いた年賀状を読み返してみた。毎年文字だらけの年賀状を書くのですが、去年の年賀状の文面は・・

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「2003年は自分の中では近年最も不作な一年でした。週末に友達と食事をしたり、飲んだり、出かけたりそれなりにその場その場は楽しいんだけど、全体的には漫然とすごした一年で、バイオリズムが非常に低く、大きな思い出がない、そんな一年。その原因は仕事。仕事にロマンや誇りを感じたり、情熱を傾けることができなくなってしまいました。最近、社会人になった最初の3年間をよく思い出します。とにかく忙しく、週末は寝倒す、そんな日々。それでも平日の夜中に近所の友達を呼び出して飲みに行ったり、週末に遊んだり。そんな生活だったけど、全体的には充実していた。

それはやはり仕事に対しての熱い想いがあって、いつも忙しくオフィスを走り回っている自分が好きでしたし、職場のチームメンバーに対して何らかの貢献をしたいという思いがあったし、職場の人は先輩・上司はもちろん、後輩も含めて自分よりできる人ばかり。がむしゃらでした。体はへとへとだったけど、自分の生活という意味では勢いがあったし、その勢いは週末の自分のプライベートな時間にも及び、いろんな企画をしたりして友達と楽しい思い出を結構作りました。

今はそのような勢いがない。仕事はベルトコンベアーにのってやってくるものを黙々とこなしているだけ。工場の労働者みたいになってしまいました。当然仕事をしている自分は成長しないし、まさにダメなサラリーマン。自分が社会人になるときに一番なりたくないと思っていた姿が2003年の自分の姿でした。

一方、友達は自分で人生を切り開いていっている。社内の選抜で海外留学する人、自費でMBAに行っている人、転職する人、自分で会社を興す人。2003年はそんな「自分の人生を切り開く」行動を起こす友達が周りに目立つようになってきた。そして、みんなそれぞれの行動で私にメッセージを発しました。「お前それでいいの?」って。

私は友達に恵まれているな、とつくづく思います。私の強みは熱さと行動力だけです。それらを存分に発揮して2004年、30歳になる今年はキャリアを切り開いていきます。人生一回きりですものね。ぜひご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。」

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悲壮感漂う年賀状だなあ、と今更ながらに読み返します。そして、そんな決意表明的年賀状から1年。今年はどんな1年だったかな、と振り返ると・・・。また明日以降、書きます。
posted by ちょう at 20:18| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月27日

免許、バイト、オーストラリア

高校時代の振り返りシリーズは、今日でおしまいです。

9月に指定校推薦で早稲田の枠へ応募した私はさっそくバイトを始めました。おじさんが1人で切り盛りしている駅前の喫茶店。高校はバイト禁止だったので、こそってやっていましたが、何人かにはバレていました。。。ただ、どうしても大学入学前に語学留学をしたかったので、その資金稼ぎをしたかったのです。まあ、前期まで生徒会長なんてしていながらバイトをしていたのですから、どうしようもないですね。ハイ。

このバイトでは特に変わったことはありませんでしたが、たま〜に来る大人の女性に惹かれていました。革のジャケットやパンツを着こなす大人の女性でコーヒー注文し、タバコに火をつけて「ぷ〜っ」っと煙を噴出すのです。

彼女が帰った後、そこには口紅のついたコーヒーカップと、口紅のついてタバコが数本吸殻として残っています。このコーヒーカップとタバコの吸殻に対して、何度もいけないことをしようとしては衝動を抑えていました。まったく高校生とはどうしようもない存在です。ハイ。

で、冬休み前からは免許を取りに行きます。これももちろん校則違反なのですが、とにかく時間がもったいない。今のうちに免許を取っておくと大学に入ってから、免許を取る時間を他のことに使えるということで、せっせと免許学校に通いました。ここでは同じように大学が決まっている女子高校生と知り合い、今でも飲み友達です。

そして、卒業前に1ヶ月間、オーストラリアのブリスベンに語学留学をしました。ここでの楽しかった生活がその後の自分の海外でのキャリア志向につながります。語学学校では東京からの女子大生もたくさんきており、「ほほ〜、これが女子大生か〜」なんて思いながらのウキウキした毎日を過ごしておりました。

意外だったのは帰国の日に父親が成田に迎えに来てくれていたことです。子供とはあまり関わりを持たない父親なのですが、このオーストラリアの件に関しては行きも東京駅まで送ってくれたりして、父親の愛情を感じる貴重な機会でうれしかったです。

で、帰国、卒業という流れになります。

上記のような高校3年生の後半を過ごした私は、同時期にがんばって受験勉強をしていた同級生からは、それはそれは疎ましがられました。でも、自分の人生、時間は最大限に有効に使いたい、という思いが強かったので、すべて実行してしまいました。周りを気にせずにやりたいことはやってしまう、という行動パターンはこの時期から形成されたのでしょうかね。
posted by ちょう at 17:09| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事納め

共同オフィスに入居しているのですが、今日はオフィスにはあまり人がいません… 稼いでいる企業からどんどん休暇に入っていくのでしょうか…?今朝も通勤電車が空いていました。ということで、

当社の仕事納めは明日にすることにしました。明後日もミーティングが入っていたりしますが、基本的には明日でおしまい!!

基本的にはカレンダー通りに休んだだけの1年でしたので(土日に仕事することも多かったですが)、よくがんばったのではないでしょうか?(ホントかな…) まあ、事実関係はさておき、年末年始は外出を控えて自宅でゆっくり静かな時間をすごします。

本来なら年末のあいさつ周りをさせていただくところなのですが、バタバタしており、このブログで代替させていただければと思います… 本当は年末のあいさつ回りは好きなんですけどね。アポナシで訪問しても歓迎されるし、みなさんが非常にリラックスした表情で対応してくださるのでね。
posted by ちょう at 16:45| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月26日

強歩会

振り返りシリーズ、高校生活はあと少しです。今日は強歩会について。

六甲では毎年冬に心身鍛錬のために強歩会というイベントがあります。どこの学校でもやっている長距離を走る、というものですが、距離は約36キロメートル。マラソン並の距離で行うのです。しかも場所は起伏の激しい六甲の裏山。。。

走っても歩いてもいいので、とにかく完走する。そういう心身鍛錬。

私はスポーツは苦手なのだが、この長距離だけは得意だった。それは体育の時間に学んだことに起因する。瞬発力のある筋肉はいわゆるムキムキな筋肉であり、一方で持続力のある筋肉は細い筋肉だ、という内容。よって、マラソン選手などは筋肉がついているものの細い筋肉でできているのでほっそりとしていると。

当時(今もですが)、痩せていることにコンプレックスを持っていた私は「なるほど、俺の筋肉はそういう筋肉なのね」と言い聞かせることに。つまり、持続力のあるスポーツで人よりもうまくできないと、スポーツは苦手だし、痩せているし、男としてやってられん、と思ったわけです。

ので、この長距離走はとにかくがんばりました。ということで、毎年全校で10位以内には入る力走をしていたわけです。また、当時は非常にストイックな性格だったので(今ではあまり想像できませんが)、36キロを走るという行為は実は非常に好きでした。

今では階段の上り下りだけで息を切らしてしまうほど衰えてしまいましたが。。。 
posted by ちょう at 15:37| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

ホットヨガ

が人気だそうです。
http://www.studio-reu.com/studio.html
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人生に必要なもの

最近いろんなことをよく考えています。2004年が終わろうとしていること、30歳になったこと、などなどが外的要因としてありますが、どういう人生を過ごすべきなのか、そして人生に必要なものは何か、を考えています。

「人生に必要なもの」

それは、生きがいを感じる仕事、大切にしていきたい女性、そしてその女性と築く家庭、そしてかけがえのない友達ということになるのではないかと思います。「当然でしょ?」という反応が返ってきそうですが、このバランス、人生のどのタイミングでどれを最も重視するかは人によって異なりますし、それが最も重要ではないかと思います。

22歳から25歳まで、私はとにかく仕事を一番大切にしていました。それこそボロ雑巾になるまで毎日毎日寝る時間もなく働いていました。それが自分のキャリアにとって非常に大切なことだと思っていましたし、むしろやりたいことでもありました。

26歳からは友達との時間を大切にするようになりました。友達といる時間が楽しくてしょうがない。そんな感じでした。

そして最近。最近はやはり将来的には家庭を持つべきなんじゃないかと思い始めています。街中で子供の姿を見ると心苦しくなる自分がいます。つまり、結婚、家庭を持つ、そして子育てをするという責任ある行為をできていない自分を直視するわけです。もちろん人それぞれタイミングがありますが、一方でそれらから逃げてきた自分もいるわけであり、いつまでも合コン王子をしていてはだめだなあ、と切に思うのです。

今は今年初めから始めた「自分が生きがいを感じる仕事探し」の途中なので、家庭、結婚というのはまだ少し先の話だと思いますが、少しずつ自分の中での思考回路が変わりつつあるなあ、というのが最近の印象です。
posted by ちょう at 01:28| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(1) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

大学受験

「京大でしょ、やっぱ」

振り返りシリーズはとうとう大学受験です。

六甲という高校は阪神間では灘、甲陽につづいてのナンバースリーの進学校です。灘は東大に行って当たり前、甲陽は東大、京大に行く学校、とくれば、六甲はできる人は東大、それ以外は京大を目指すぐらいがおそらく中学入学時点ではあるべき姿なのです。でも、六甲の実情は東大に合格するのは200人中一桁、京大もそれほど多くなく、というのが実情。おそらく六甲山の野山を裸で駆け回っている間に灘、甲陽に置いていかれているのだと思いますが… これはいかん、と思い私は高校2年ぐらいから

「京大行くで」

といい触れ回っていました。周りに言うことによって自分へのプレッシャーになるかな、と言う思いもあって。かつ、「俺たちはそれぐらいの大学に行ってしかるべきでしょう」という周りへのメッセージもあって。

もう1つは私は大学に入ったら絶対に1人暮らしをしたいと思っていました。その意味では大阪大学、神戸大学などの阪神間の大学に行ってしまうと絶対実家から通うことになります。それが京大なら1人暮らしができる、というやましい思いもありました。

六甲は堅実な学校なので、「父兄に経済的負担をかけないためにも、関西圏の国立大学にいくことが最高の選択肢」という教育方針でした。したがって、京大、大阪大学、神戸大学に進学することが最良の選択肢。関西圏以外の大学に進学するとしても旧帝大に行くこと、間違っても東京の私学に行って経済的負担をかけないこと、みたいな雰囲気がありました。したがって、私の頭の中でも「京大、阪大、神大のどれかに行かないとな・・・」という思いがありました。

そんな高校3年生になった4月、父親が突然東京に転勤になり、単身赴任で東京に行くことが決定しました。「ふ〜ん、東京ね」なんて思っていた私は引き続き「目指せ京大」だったのです。

そして8月のある日。家族会議が開かれました。っていうより勝手に父母が私と妹を抜きにして会議を開いていました。で、

「来年からは家族全員で東京に引っ越しましょう」

ということが決定してしまったのです。理由としては家族がバラバラで暮らしているのはよくない、ということでした。当時は私が高校3年生、妹が中学3年生でした。私にとってよりも妹にとっての方がこの決定は衝撃的でした。妹は親和女子中学という藤原紀香卒業した中学高校一貫の学校に行っていたので当然中学受験はありませんでした。が、「東京に引っ越す=高校受験をしないといけない」ということになってしまったのです。

私は「かわいそうに〜」なんて言いながら引き続き「目指せ京大」をやっていました。

そして夏期講習。川合塾に通っていたある日、私は気付きます。

「京大に行くより、東京の自宅から早稲田、慶応、上智に通った方が経済的には親の負担にはならないな…。つまり、京大に失敗した場合は早稲田、慶応に行ってもいいわけだ。これはすごい楽になるぞ」

ということで、夏ごろからは早稲田、慶応、上智を選択肢に入れ始めます。

私は大学に入ったら、交換留学をしたいと思っていました。これは中学1年に決めたことで大学も留学制度が整っているところを選ぼうと思っていました。その観点では上智、早稲田が整っていました。一方で、学部としては経営を学びたかったので、経営学部、または商学部を選ぶ予定でした。

そんなある日、早稲田、上智の指定校推薦の告知が学校の掲示板に出されました。慶応の指定校推薦は5月ごろにあってもう終わっていました。

「ふ〜ん、指定校推薦ね」

なんて思っていたのですが、私は最終的に締め切りの最終日に早稲田の商学部の指定校推薦に応募することになりす。

六甲と上智は姉妹校で、そこそこの成績を上げていればどの学部にでも指定校推薦で入学できました。ただし、国関と呼ばれる国際関係法学部と、外国語学部、そして新聞学科は別でした。これはら上智の看板学部でめちゃくちゃ入学の難しい学部。ただ、経営学部であればある程度の成績であれば入れます。

一方で早稲田。商学部、法学部、文学部、理工学部から指定校推薦の枠がありました。ただ、東京の私学に行くことよりも、まずは経済的負担のかからない関西の国立大学を受験することが美徳とされる六甲ではこれらの推薦に応募する人はほとんどおらず、最終的には私だけが商学部に応募し、法学部、文学部は応募者なし、でした。理工学部は人気で4〜5人が応募していましたが。

私はこの推薦に応募するまで非常に悩みました。留学制度は整っているものの、当時六甲では早稲田と慶応では圧倒的に慶応人気。早稲田は「生徒1流、設備2流、教授3流」と呼ばれて、早稲田の凋落が激しい時代でした。また、大学デビューを目論んでいた私にとって「慶応ボーイ」の響きはとにかく憧れでした。

また、男子たるもの受験という壁を乗り越えるべき、という考えもあり、非常に悩みました。両親はとにかく推薦を出しなさい、という意見でした。家族全員東京に引っ越すわけだし、早稲田に行きなさい、というのが彼らの意見。ごもっともです。

最終的に私は、大学受験をする場合にかかるであろう費用を計算し始めました。

「予備校代、受験代、受験の交通費、宿泊費、滑り止めに受かった場合の入学金、全部滑った場合の浪人費用などなど」

これらを計算し始めると相当の経済負担が発生することが明らかになりました。またどうしても留学したかったので、浪人をするわけにもいかないという思いが強く、かつ、早稲田の留学制度は魅力的でした。そこで両親に交渉します。「推薦に出したら、春休みに1ヶ月間語学留学してもいいか?」

受験にかかるもろもろの費用は50万〜100万円だと見積もりました。それ以下の金額で大学入学前に語学留学をしたい、と思い両親に掛け合ったわけです。で、OKをもらいました。「じゃあ、推薦を出そう」

悩みに悩んで最終日に応募を出した私。当時担任だった関東出身の先生は

「関東の大学に行くのはいいことだよ。結局経済、政治の中心は東京だよ。大学のうちにそれらを見ておくことはいいことだ」

と言いました。当時は

「ホンマかいな?」

と思っていましたが、私はその後4年間、そして今までそのありがたさをしみじみと感じることになります。

こうして、早稲田に進学することが決定しました。京大を目指していた友達からは「おい、お前逃げんなよ〜」と言われましたが…
posted by ちょう at 01:50| 東京 ??| Comment(2) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月19日

ポインセチア

UBS時代の後輩が金曜日にオフィスを訪ねてきた。

「年末のご挨拶です。クリスマスシーズンですものね。ハイこれ」

と言ってポインセチアをくれた。かわいい小さいポインセチア。女の子っぽい心遣いだなあ、と思いながら半時間ほどとりとめもない話をしていた。

UBS時代はいろんな面倒な仕事などをやってもらったりして、たまにはこちらが怒られたりしていた後輩。あまりよく考えずに仕事をお願いすると

「保田さん。もうちょっと考えてから話してくださいよ」
「この作業ってすごい時間かかるってご存知ですか?」
「もうちょっと上司とかクライアント仕切って下さいよ」

なんて言われていたのが、懐かしかったです。
posted by ちょう at 23:34| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年賀状

書いています。「欲しい!」という方、住所をメールで教えてくださいね。おととしはサボったのですが、去年はまた復活させて、やっぱり年に一度みんなの状況を確認できるこの習慣、書くのは面倒ですが、いいものだなあ、といつも思います。

ブログができてからは、日々の状況はある程度お互いに把握できつつあるけど、それでもやはり年の初めに交わすこの挨拶状、いいものだなあ、と思います。
posted by ちょう at 15:12| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月17日

取材記事

今日は日刊工業新聞27面に載りました。

怪しい私の写真と、イベント風景の写真入りで。
posted by ちょう at 19:47| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | トモモト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月16日

体育祭

振り返りシリーズは高校の体育祭です。

■体育祭
六甲のイベントの中では最も盛り上がるイベント。9月にあるのですが、これが高校3年生にとっては最後の主役イベント。このあと3年生は受験勉強に猛進するわけです。

体育祭、メインは行進です。六甲は山の中腹にあるのでグラウンドと観客席は高低差が激しく、この高低差を利用して全校生徒でグラウンドに行進しながら人文字を作るのです。1列6名の行列で行進します。全員吹奏楽部の演奏にあわせて左足、右足と一糸乱れぬ行進をし、止まることなく5〜6の模様をグラウンドに書いていきます。

何のことかよく分からない思うので、実際の写真を見てもらうのがいいですね。検索したらいくつか出てきました。

2000年の様子

2000年の様子2。オリンピック年にふさわしいマスゲーム。

2002年の様子サッカーワールドカップの年にちなんだ模様の数々。

この行進のために9月1日から14日までは毎日放課後に練習をします。中学1年から高校3年まで全員でやるので、最初は左足と右足が合わないし、列はぐちゃぐちゃになるし、先頭が行く場所を間違えたりといろいろあるのですが、本番当日にはピシッと揃うのです。これはすごいと今でも思います。特に先頭を歩く人たちは何の目印もないグラウンドを歩いて「このあたりで右に曲がるんだな」とかいう感覚を何度も何度も練習することによって覚えるのです。

この体育祭。高校3年生の半分以上が何らかのスタッフとなって運営していきます。企画担当、演技担当、警備担当、救護担当、などなど。体育祭のプログラムを考え、行進の模様を考えるのは企画グループの仕事。実際の競技の指導をするのが演技グループ。演技グループは特に行進の練習で全校生をビシビシとシゴキ、そしてモチベーションを保つ、という一番難しい役。

私は企画の副主任だったのですが、この時の企画グループの人たちで行進の模様を考えた人たちが今は建築家になっていたり、土木関係に勤務していたりするので、彼らは当時から頭角を現していたんだなあ、と感心しきりです。

行進はまた例によって、全員上半身裸、そして裸足なのですが、他の競技のときも結構裸の競技が多く、やっている内容、スタイルともに六甲が最も現れていると思います。

こうやって大きな1つのものを高校生活の最後に一緒に作り上げるので、六甲の時の友達とはいつ会ってもすごい仲が良いのだと思います。
posted by ちょう at 03:09| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Within the next 24 hours

"I will get back to you within the next 24 hours"

「じゃ、その件、24時間以内に対応します」

という受け答え。とにかくポンポンと物事を処理し、話を進めていく。常にカツカツと早足で歩いて。そんなイメージが必要とされるウォール街の世界。

「では、明日までに対応します」

という受け答えと

「では、24時間以内に対応します」

という受け答え。

全く同じ意味なのですが、後者の方が迅速に対応、しかも最優先で対応してもらえそうな印象を与えることができる。ので、ウォール街のバンカーたちはこの表現が好きなのです。

今やっているM&Aのアドバイザリー案件で、ふとこの表現を思い出しました。。。
posted by ちょう at 02:01| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月15日

お見合いレストラン

今日ふと自分の名前でグーグル検索をしてみると恥ずかしい過去が出てきました。2000年2月、お見合いパーティを主催したことがありました。もうホントにあほなことやっていました。。。

主催はBPMates。BPはBlue Pointの略で、2000年の正月に特に予定のない男女が白金台のBlue Pointに集っていました。その時に「ちょっと〜、あんたたち何か楽しい企画しなさいよ〜」とその席にいた幸子嬢にせっつかれ、「そういえば神戸では友達がお見合いパーティを主催してめっちゃおもしろかったらしいで」、なんて話になり、「よし、じゃあ、こっちでもやろう!」

Matesはメイツ。チームとかの同義語ですよね。ということで、「おっしゃ、BPMates主催のお見合いパーティだ」ということで、結局男女40人ぐらいずつ集まってお見合いパーティしました。確か10分ずつぐらいで男女をグルグル回して。そして最後に告白タイム。

これ、やるまではすごい楽しみだったのですが、いざ主催してみると作業ばかりでめっちゃくちゃつまらなかった〜。。。参加者は楽しそうでしたが。

ということで、第2弾はありませんでした。

ま、なにごともやってみないとわかりませんからね!
posted by ちょう at 01:58| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月14日

高校委員会

「高校委員長やりたい人〜?」
「ハーイ」

人生振り返りシリーズ、再開です。今回は委員会編。

六甲には生徒会に代わる高校委員会というものがありました。各クラスの委員長、副委員長、書記が自動的に高校委員になり、その中から高校委員長を選ぶ、というもの。高校委員長とは生徒会長ですね、他の学校で言う。

他の学校では普通生徒会長を選ぶ時は選挙とかするんですが、六甲では立候補制。そして対立候補がいないと自動的にその人に決定。私が高校委員長になったときも立候補したのが私1人でめでたく決定。

「こんな簡単でいいんかいな〜」

なんて思っていたけど、シメシメ。

ということで、高校3年の4月から9月までを高校委員長として過ごしました。親は私のちょうさんというあだ名は高校委員長から来ていると思っていたので、息子のあだ名が「調子ノリのちょうさん」からきていると知った時は落胆していましたが。。。

高校委員長になって何をしたかったか。それは学校改革でした。たくさんの変な校則があって、それに「イヤだな〜」と思いながらも諦めている生徒たち。そんな構図がイヤで、とにかく学校と戦う、ってことを目標に委員長になったわけです。

いろんな提案を委員の中から集める。制カバン廃止、制服廃止、食堂設置(六甲には学食がなかったので)、先生と生徒の定期的会合の実施などなど、いろんな案が出てきました。その中で学校側に上げた要求は制カバン廃止と食堂設置でした。制服廃止に関しては

「いや〜、六甲の生徒はみんなダサいから、私服にするともっと周りの女子高からモテなくなるでー」

というある委員の一言でみんなが納得し、廃案に。。

カバンは人によって詰める量も違うし、ひとつのカバンに決まっているというのは合理的でないということで、カバンの廃止を迫りましたが、よく分からない回答でうやむやに。

食堂の設置は学校側も理解を示しましたが、弁当を作ってもらうことは母子の貴重な対話である、という学校の教育方針の下、却下されました。でも、これは時代の趨勢でいつかは設置しないといけないでしょうね。今はもしかすると設置されているのかもしれませんが。

他に推し進めたことは近隣の学校との交流です。他の学校の校則はどうなっているんだ、生徒はどんなことを考えているんだ、などをヒアリングするために近隣の学校の生徒会同士の交流会を行いました。これは結構実りが大きく、今でもその時に一緒した他の学校の何人かとは仲良くしています。

「学生時代に生徒会長とかしていた?」

って結構良く聞かれるのですが、

「ハイ、そうです。よく分かったね」

って答えますが、どうして分かるのだろう、といつも不思議です。
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2004年12月13日

自分を知っている人、理解してくれる人の存在の幸せ

「保田君は、昔のまんま、優しい保田君。嬉しかったし、とても安心して、素のまんまで色々話せて、嬉しかったんだ。他の人が変わったと言ってるのか分からないし、保田君は冷酷と思ってるかもしれないし。でも、わたしにとっては、保田君はずっと同んなじ保田君だよ〜」

土曜日に友達とランチをした。再会したのはおそらく2年ぶりぐらい。その彼女から頂いた言葉。

彼女は美人。そして才女。そしてすごい性格のいい子。なのに、この2年間ぐらいすごい苦しんでいた。職場でのセクハラや友人関係など。そのことは昨日初めて聞いた。胃潰瘍になってしまい、そして男性不信、対人恐怖症…

そんな彼女がやっと回復してきた。回復してきたので、また昔の友達に会ってもっともっと以前の状態に戻りたい。そんな時に連絡をしてくれた。

「ここ1年ぐらいね、誰とも会っていないの。でもね、やっと回復してきたんだ。だから信頼できる人から徐々に再会して行こうと思って。保田君は5本の指に入る信頼できる人よ」

お互いの過去2年を振り返りながらの近況報告。その中で彼女は上記台詞をくれた。

正直私はこの1年で自分の表情が変わったかも、人柄が変わったかもという心配をしていた。それは

「表情が疲れているよ」
「ちょっと悪い人になった感じがする」

という言葉を他の人たちから何回かもらっていたから。そして一方で自分は冷酷な人間なんだろうな、愛情に薄い人間なんだろうな、という不安はずっと持っている。

「いや、俺ってすごい冷酷な人間だから、優しいなんてことはないよ…」
「ううん。私にとってはすごい信頼できるし、やさしい人だよ」
「でも、俺の顔の表情とか変わっていないかな?」
「眠そうだけど(笑)、全然昔のままよ」

ハ〜、良かった。こちらが彼女を励ます立場のはずなのに、なんだか励まされてしまった。家が近かったので、以前はよく麻布十番で夜中にお茶をしながらお互いの人生相談をしていた。

「保田君がハッピーになれる道を選択した方がいいよ。ハッピー、ハッピー」

そう言いながら彼女がスキップをしていたのは3年前か4年前。その言葉を思い出した。何年経ってもお互いの人生のメンター、そんな存在ってすごい貴重だなあ、って思った。彼女のリハビリのために私ができること、それは自分のいい部分を変えず、そして前を向いて歩くことだろうな、って思った。
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Good Luck!!

「保田さんもがんばってくださいね、僕もがんばりますから」

金曜日のランチタイム。今年、起業するにあたってすごいお世話になった友達のささやかな壮行会。その時に別れ際に彼から頂いた言葉。

彼は今日、スイスに向けて出発した。1年間ビジネススクールに行ってMBAを取得するために。今年の2月上旬に初めてお会いしたのだけど、当時は私は起業準備、彼はMBAの試験準備に追われていた。そんな中お互いに励ましあい、アドバイスをしあい、助け合ってきた。本当に彼にはトモモトを開始するに当たっての無限大のサポートを頂いて、その恩は忘れようがない。

先月にはこんな言葉を頂いた。

「保田さん。保田さんがビジネスマンとしてデキル人間であることは当然なんです。そんなことで満足しないで下さい。もし今やっている事業に失敗した場合、それは保田さんの努力不足です。それ以外の何者でもありません。僕もMBAでがんばります。保田さんも同じようにがんばってください」

この時はハッとさせられた。こうやってズバリとアドバイスをくれる彼には本当に感謝している。

晴れてMBAに合格した彼。私が果たせなかったMBA留学を十分に楽しんできてもらいたいし、充実した1年にして欲しい。私が願わなくても充実した1年を過ごされるのは間違いない。1年後に帰国したときに、

「保田さん、いい顔になりましたね」

そう言ってもらえるようにがんばろうと思う。

そして私は別れ際に言った。

Good Luck!!」
posted by ちょう at 01:30| 東京 ??| Comment(0) | TrackBack(2) | ライフスタイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月10日

取材記事

今日は2本、取材記事が出て行きました。

日経流通新聞(日経MJ) 1面
−The 21(PHP研究所) 70ページ〜72ページ

新聞の1面はやはり気持ちいいですね。プロのカメラマンが撮ったイベント風景の写真はさすが、という感じ。

The 21の方はPHP研究所のビジネス誌ですが、扱いは今までの中では比較的大きく、よく書いていただきました。
posted by ちょう at 17:30| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(2) | トモモト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする