大学では商学部でしたが、金融に関する授業は何も取りませんでした。だって、つまらなさそうだから。。。経済系の中でも金融は一番興味がなかったんですよね。なんとなく簿記ぐらいは分かっておいた方がいいのかな、と思って授業を選択したのですが、これは見事に途中でイヤになって、単位を投げ出しました。そんなぐらいですので、就職活動のときも、銀行、保険は一切就職活動しなかったですし、日本の証券会社は1社も受けずに、金融系は、外資系証券会社の、しかも投資銀行本部、しか面接を受けに行かなかったんですよね。もともとはメーカーか商社に行こうと思っていたのです。
金融が好きな人には分からないと思うんですが、「金融ってなんだか難しそうだし、いまいちだなあ」と思っている私のような人間にとっては、とにかく近づきたくないんですよね、金融の世界。なんだか分からないことばかりで、自分が頭の悪い子になった気分になっちゃうんですよね。でも、社会人として金融のことは、知らないといけない気もするし、でも、そういう分野を知らない自分に向き合ってしまうのがとにかくイヤで金融は避けていました。
じゃ、どうして外資系証券会社の投資銀行本部だけは面接をしに行ったのかと言うと、M&Aのアドバイザリーをやりたかったんです。
私は1974年生まれですので、多感な青少年時代はバブル絶頂期。Japan as No.1という盛田会長の本がもてはやされたり、米国では日本的経営を見習えということで、世の中、日本はすごいんだ、という空気で満ち溢れていました。それもこれも、戦後の高度成長期の立役者となった日本のメーカーの力によるところはすごかったと思います。そして、私の父親もメーカー勤務でした。
そして、大学に入ります。すると、バブルが崩壊。自分が「すごい!」と思っていた日本経済国はガラガラと崩れ落ちていくのです。自分の国、自分の国の経済が崩れていくのを見るなんてイヤでした。そこで、思いました。「高度成長期よ、もう一度!」
つまり、高度成長期を牽引してきたメーカーがまたJapan as No.1になれば、日本経済は復活すると思ったわけです。なので、私はメーカーの経営戦略に関わって、もう一度高度成長期にするぞ、なんて思っていたのです。大学のゼミもそんなゼミでした。
一方、中学の頃から英語が好きだった私は、「将来は国際的な仕事をするんだ」と思っていたので、商社も憧れだったわけです。しかも、商社マンは80年代(おそらく今も)、めっちゃモテていました。これらに惹かれて私は商社も希望していました。
ただ、ある日、ふと思います。
「メーカーに入っても、経営戦略に携われるのは40歳を超えてからよね。しかも、40歳を超えても、そして、定年までももしかすると経営戦略に携われないポジションですごすかもしれない。僕の将来は人事部に握られる。これってめっちゃくちゃリスクが高い!」
商社にしても同じような理由で、「う〜ん」と考えてしまいました。そこで、考えたのです。「たくさんの企業の経営戦略に関与できるところでいろいろ勉強することはできないものか。そもそも、企業の経営戦略で一番大きな意思決定って何だ?」
そう考えると、M&Aアドバイザーと言うポジションがすっごい魅力的に見えてきたのです。M&Aは企業の意思決定の中で、最も金額が大きく、それこそ企業の屋台骨に関わるぐらいの大きな経営決断です。そのアドバイザーとして、各企業のトップがどのような経営決断をするのかを垣間見ることができるところに身を置きたいと思ったのです。そうして、私は外資系投資銀行に面接に行きました。
posted by ちょう at 23:55| 東京

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